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〒410-2211 静岡県伊豆の国市長岡991-4
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余計なことが多過ぎる
今回はちょいと重めの話
生死と病老は別次元
からだは食べたもので出来ている
などと言います
知り合いの方が最近癌で亡くなったんだと
その家は
母親が以前やはり癌で亡くなり
先頃
長女が癌で亡くなった矢先
父親がステージ4ということで
余命宣告を受け
宣告通りきっちり三月で亡くなったのだと
医者は
こういうのを遺伝という風に解釈するのでしょうが
これはまったく食生活が原因です
そういう意味で
食べたものでからだが出来ている
というのは
その通り
で
癌は食生活を変え
からだを温めていくことで
抑えられる可能性があるのだ
と
助言をしたのだけれど
どうせ亡くなるのだったら
好きに食べて死んでいった方が
良かったんじゃないか
と後悔しているのだと
じゃあ
どうせもう死んじゃうんだから
今更どうこうすることなく
好きにしなよ
言っていたとしたら
後悔しないかい?
今この瞬間にでも
ウクライナや中東で
日本を含め正解各国の様々な場で
亡くなっている人が居ます
でも
いちいち彼者の死に対して
親身になりませんよね
翻って
己が死んだとて
あぁ死んだ
と思えてるんなら生きてますし
死んだらお終いよ
なんです
最も身近で影響があるのは
親知り合いの死だけです
だから
どう対応したところで
絶対に後悔するんだから
思う存分後悔しなさい
死と病気は別次元のもので
病気になっても
何十年と病を抱え続けながら
亡くならない方もあれば
元気でもポックリと亡くなる方もある
日本では亡くなった場合
医者が死因を特定します
それは
犯罪や事故などの可能性が無いかどうか
あとは
統計などにも関わってきますね
しかし
本当の死因というものは
誰にも解りません
そもそも
どの段階で死んだのかさえもあやふや
心肺が停止して瞳孔が開いたら死亡とする場合と
臓器移植前提の場合は脳死で判断する
これだけでも2つの死があります
臓器移植が可能な段階というのは
その臓器は生きているということです
脳死を決める時
物凄く揉めましたよね?
心肺停止でも
髪は伸びるとか
聴覚はしばらく死んでないとか
死んですぐに悪口なんか言ったら
聞いてるよ
などと
様々なことが言われています
私共の技術の際に
呼吸が邪魔になる場合があるので
呼吸を止めることがあります
その際
喉を閉じていないので
息は止まっていません
この際には
酸素吸入と二酸化炭素の排出は
ですから
行われ続けています
これは
精密な作業を行う方は
結構当たり前に行っていることで
ということは
呼吸が止まることと死はイコールでは無い
となりますね
決めなきゃいけないから線引きされているだけで
それは取りも直さず
どこを死と決めて良いか判らないから
暫定基準を設けているということです
身体教育研究所長のダン先生は
林檎の実が生って落ちたと
それは死なのか?
学校の先生に尋ねて怒られたそうです
癌が出来たってそれでは死にません
衰弱していくかもしれませんが
結局
どの段階で死と考えて良いのか判らないのだから
心不全とか
多臓器不全とか
そういう
当たり前のことを言うしか無いワケです
本来
余命宣告なんて出来るハズが無く
それはもう医者の範囲を超えているものです
未来を知っている人間など居らず
いや
居るのかもしれませんが
たとえ
未来を見える人であったとしても
他者の未来を規定することは
医者の倫理以上に
人間として間違った行為です
それを決めるのは本人だけで
この場合
たまたま余命宣告が正しかったのか
それとも
医者にそう言われたから
それを受け入れた結果なのか
それは判断のしようがありません
他者が出来ることは
可能性を伝えることであって
例えば
先程の
こうしたら癌を抑制する可能性があるよ
という提案でも
しかしどこまで行えるかによって
可能性は増減するのだということまで
ちゃんと伝えられていたか?
という部分は反省するべき箇処があるかもしれません
好きなものを食べるのは止められないからと
少し減らす
ステージ4で
その選択では改善の余地はありません
それだったら
本当に好きにさせた方が良いでしょう
中途半端にどっちつかずになるのが
一番良くない
冷蔵庫などで腐ってしまう野菜は薬まみれの野菜で
本当は枯れていくものだと言います
これは人でも同じで
余計なことをしなければ
枯れて自然と死へスライドしていきます
苦しむのは余計なことがあるから
この方の場合
あえての治療は放棄したのだそうですが
助言を聞いて生活を改善したのかといえば
それもしていない
癌になった生活を変えること無く
癌が改善する見込みは一切無いですので
その生活自体が余計として働くことで
苦しい最期になってしまわれた
私共の技術は循りを改善する事で
苦しみを軽減させられるのだろうと
その亡くなった方の知り合いの者も
私と同じ技術者なので
そこに期待をしていたのに
うまく対応できなかったことに悔やんでいるようですが
手技でどうこう出来ることは極く限られたことだけで
そこに過剰な期待を持つことも間違いですし
何も出来ないと断念することも間違い
米澤先生に仕術をしてもらっていたら
もう少し生き永らえられたかと言えば
んなワケあ無い
助言にしたって
米澤先生を知らない方にとって
言葉の重みは
先生より身近なあなたの言葉にあるのではないですか?
1回の仕術より
頻繁に関われる方が効果的に決まっている
だからこそ
米澤先生は術者を増やそうとしているし
野口晴哉だって
己のからだは己で保てと
治療を棄てたワケです
技術は手技だけのものではなく
知識や伝え方
そもそも術者の在り方
生き方まで含めたものだから
私達の場は
セミナーではなく
学校では無く
道場なのです
子育てでも同じで
親の義務は
子供の可能性を潰さないよう
出来得る限りの選択肢を示すことで
どれを選んでも
本人の決断に否を言ってはいけない
ただ
その選択の中で
間違った対応にならないよう指南すること
患者は人の話を聞けないから患者でもあります
対手がどうしたいのか?
に対して
最善をお伝えするのが我々の務めですから
常に様々な情報に触れ
自らを成長させ続ける必要があり
コレが正しい!
と「ひとつの正義」を押し付けることは
結果がどうなったとしても
間違いです
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