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高齢者が寝たきりにならないようにする方法を、伊豆の整体院がお伝えします
【からはだふくらか】と関係のあった方がすべて
死ぬその時まで快いカラダになって 愉しく悦びにあふれた毎日を過ごしていただき わたしは豊かな暮らしをすることができます ありがとうございます
畑作業をしている最中に非常に汗が出て、身体がだるくなったと。
それでも、休み休み作業をして、っていうことを2,3日繰り返し、お医者に薬をもらいに行った時にそんな話をしたら、心電図を調べて、救急車に乗せられて、大きい病院へ則入院。
軽い心筋梗塞だとのこと。
経過観察を終えて、無事退院されました。
もう、ン十年も前に軽い脳梗塞になり、以降、血圧降下剤を、服み続けていらっしゃいます。
日頃は、息子さんのお店の看板娘として働いてこられました。
それが、このコロナ狂騒で、自宅待機を余儀なくされているとのこと。
あとは、前述のように畑作業を2,3時間されて過ごしています。
この後どのように過ごせば良いか、とご相談を受けました。
そこから、今回は、高齢者の寝たきりを防ぐためにはどうしたら良いか、を考えてみます。
「高齢だし、心臓に負担をかけないように、家で安静にして、テレビでも見てるしかないかね」って言うので、イヤイヤ、身体を動かすようにして下さい、と。
本当なら、お店でまた働いて欲しいところなんですが、いろいろとそれは難しいと思いますので、畑で作業して下さい。
とお伝えしました。
心臓に負担をかける、っていうことを、どう考えるかがキモです。
安静って何、ってことです。
心臓は血液を押し出すのが仕事です。
他方、心臓のポンプ以外に、筋肉もポンプの役割をしています。
動脈と静脈の違いがあるので、心臓の押し出しを直接助けることにはなりませんが、それでも循環を促すのに、筋肉を動かすことは必要不可欠です。
動物は動いてナンボの生き物なんです。
そして心臓は、単体で、それだけが存在している、部品ではなく、全体の中の一部分にそう名付けただけ。
どこからどこまでが心臓かなんて区切りは存在しません。
身体はひとつのものです。
ここで心臓だけを動かすような方法を選んだなら、血液循環の負担が全て心臓にのしかかることになります。
そうではなく、身体を動かして、筋肉のポンプを使ってあげたりして、少しでも負担を分散させた方が、良いのは明白。
もちろん、鼓動が激しくなるような運動はいけませんが、でも、出来る限り動いている方が断然良いんです。
何もすることがない、ヒマな時はどうするか、考えてみれば分かりますよね。
入院してる時とか、テレビを見て、ボーッとして。
その内にウトウトするでしょう。
身体も、脳も、人間そのものが、使わなければ衰えていくものです。
使えば使うほどに、強く、良くなっていきます。
身体を動かすから、食事も美味しく食べられ、消化吸収も良くなり、ここでも循環が生まれます。
動くから血管も筋肉もやわらかく保たれ、血圧だって正常になります。
動いて疲れれば、よく眠れるようになります。
「眠れない」「食欲が湧かない」ってエネルギーを使っていないんだから当たり前の話でしょう。
だったら、眠らず、食べなければ良いし、眠りたく、食べたくなるように動けば良いんです。
もし同居の高齢者がいるのなら、何でも用事を言いつけてやってもらうことです。
「年寄りをこき使って、鬼のよう」と言われるくらいで全然構いません。
出来るだけ責任を伴うことをやってもらっていれば、寝込んでるヒマはありません。
それを何もかも、やることを取り上げてしまうから、寝たきりになってしまいます。
昔、沖縄に住んでいた頃に、「沖縄のオバアがいつまでも元気なのは仕事をしているからだ」と言った人がありますが、まったくその通りだと思います。
生命は個々に何かの使命を受けて、この世に生まれてくるわけではありませんよね。
ウチのネコどもが何か大事なミッションを与えられているとは到底考えられません。
ただ、産まれたから精一杯生きています。
人間にも生きる意味なんて別にありません。
産まれたから、死ぬまで生きるんです。
身体があるから、動くんです。
頭があるから、考えるんです。
ですが、生命には意志があります。
意志があるから産まれ、動くために身体があり、息をするために呼吸器があり、考えるために脳があります。
これは野口晴哉の思想と、その息子の裕之先生の思考です。
真逆のことを言っているようですが、何も矛盾はありません。
生きるということに、やるべきことはなく、ただ、やりたいことだけがある、ということです。
やりたいことのなくなった生命に生きる意味はありません。
生きる必要が無くなって、死ぬべきところを、余計な手出しをするから、寝たきりになるんです。
手を出すなら、もっと早く、出さないなら、そのまま逝かすべきです。 にほんブログ村
#伊豆の国市 #伊豆 #函南町 #三島 #沼津 #からはだふくらか #肩コリ #腰の痛み #悩み #克服 #温泉場出逢い通り #湯らっくす公園 #長岡湯本
24/03/23
24/03/22
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【からはだふくらか】と関係のあった方がすべて
死ぬその時まで快いカラダになって
愉しく悦びにあふれた毎日を過ごしていただき
わたしは豊かな暮らしをすることができます
ありがとうございます
90歳を手前にしたご婦人
畑作業をしている最中に非常に汗が出て、身体がだるくなったと。
それでも、休み休み作業をして、っていうことを2,3日繰り返し、お医者に薬をもらいに行った時にそんな話をしたら、心電図を調べて、救急車に乗せられて、大きい病院へ則入院。
軽い心筋梗塞だとのこと。
経過観察を終えて、無事退院されました。
もう、ン十年も前に軽い脳梗塞になり、以降、血圧降下剤を、服み続けていらっしゃいます。
日頃は、息子さんのお店の看板娘として働いてこられました。
それが、このコロナ狂騒で、自宅待機を余儀なくされているとのこと。
あとは、前述のように畑作業を2,3時間されて過ごしています。
この後どのように過ごせば良いか、とご相談を受けました。
そこから、今回は、高齢者の寝たきりを防ぐためにはどうしたら良いか、を考えてみます。
心臓の働きは、もちろん、血液を全身に押し出す役割です
「高齢だし、心臓に負担をかけないように、家で安静にして、テレビでも見てるしかないかね」って言うので、イヤイヤ、身体を動かすようにして下さい、と。
本当なら、お店でまた働いて欲しいところなんですが、いろいろとそれは難しいと思いますので、畑で作業して下さい。
とお伝えしました。
心臓に負担をかける、っていうことを、どう考えるかがキモです。
安静って何、ってことです。
心臓は血液を押し出すのが仕事です。
他方、心臓のポンプ以外に、筋肉もポンプの役割をしています。
動脈と静脈の違いがあるので、心臓の押し出しを直接助けることにはなりませんが、それでも循環を促すのに、筋肉を動かすことは必要不可欠です。
動物は動いてナンボの生き物なんです。
そして心臓は、単体で、それだけが存在している、部品ではなく、全体の中の一部分にそう名付けただけ。
どこからどこまでが心臓かなんて区切りは存在しません。
身体はひとつのものです。
ここで心臓だけを動かすような方法を選んだなら、血液循環の負担が全て心臓にのしかかることになります。
そうではなく、身体を動かして、筋肉のポンプを使ってあげたりして、少しでも負担を分散させた方が、良いのは明白。
もちろん、鼓動が激しくなるような運動はいけませんが、でも、出来る限り動いている方が断然良いんです。
高齢者を寝たきりにさせたくないなら
何もすることがない、ヒマな時はどうするか、考えてみれば分かりますよね。
入院してる時とか、テレビを見て、ボーッとして。
その内にウトウトするでしょう。
身体も、脳も、人間そのものが、使わなければ衰えていくものです。
使えば使うほどに、強く、良くなっていきます。
身体を動かすから、食事も美味しく食べられ、消化吸収も良くなり、ここでも循環が生まれます。
動くから血管も筋肉もやわらかく保たれ、血圧だって正常になります。
動いて疲れれば、よく眠れるようになります。
「眠れない」「食欲が湧かない」ってエネルギーを使っていないんだから当たり前の話でしょう。
だったら、眠らず、食べなければ良いし、眠りたく、食べたくなるように動けば良いんです。
もし同居の高齢者がいるのなら、何でも用事を言いつけてやってもらうことです。
「年寄りをこき使って、鬼のよう」と言われるくらいで全然構いません。
出来るだけ責任を伴うことをやってもらっていれば、寝込んでるヒマはありません。
それを何もかも、やることを取り上げてしまうから、寝たきりになってしまいます。
昔、沖縄に住んでいた頃に、「沖縄のオバアがいつまでも元気なのは仕事をしているからだ」と言った人がありますが、まったくその通りだと思います。
生きる意味
生命は個々に何かの使命を受けて、この世に生まれてくるわけではありませんよね。
ウチのネコどもが何か大事なミッションを与えられているとは到底考えられません。
ただ、産まれたから精一杯生きています。
人間にも生きる意味なんて別にありません。
産まれたから、死ぬまで生きるんです。
身体があるから、動くんです。
頭があるから、考えるんです。
ですが、生命には意志があります。
意志があるから産まれ、動くために身体があり、息をするために呼吸器があり、考えるために脳があります。
これは野口晴哉の思想と、その息子の裕之先生の思考です。
真逆のことを言っているようですが、何も矛盾はありません。
生きるということに、やるべきことはなく、ただ、やりたいことだけがある、ということです。
やりたいことのなくなった生命に生きる意味はありません。
生きる必要が無くなって、死ぬべきところを、余計な手出しをするから、寝たきりになるんです。
手を出すなら、もっと早く、出さないなら、そのまま逝かすべきです。
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